How I found My Rainbow Color
私が「レインボーギャザリング」に出会ったのも"ヒッピーの聖地インド"でした...やっぱりね。
(写真はバラナシで猿を連れ回してるおっさん。一度自転車に乗ってる彼の頭の上で猿がニンジン喰ってた。)
- 参加者はレインボーファミリーと呼ばれる
- LOVE & PEACEでなんでもシェアする
- 新月から始まって満月の夜をピークに1ヶ月開催される
- お金のやり取りは禁止で基本物々交換
- 携帯電話やカメラの使用も基本禁止
- フードサークルで全員一緒にご飯を食べる
- シットピット(肥溜め)がトイレ
- みんなが音楽家でアーティスト
- それぞれのボランティア精神で成り立っている
- そして、裸!!!
ちなみにレインボーギャザリングのレインボーの由来はネイティブアメリカンの言い伝えから来ているそう。
"When the earth is dying there shall arise a new tribe of all colours and all creeds. This tribe shall be called The Warriors of the Rainbow and it will put its faith in actions not words."
"地球が滅びかけたとき、肌の色も信仰も異なる新たな部族が現れる。この部族は虹の戦士と呼ばれ、彼らは言葉ではなく行動で信念を貫くだろう。"
それとレインボーにはどんなカラー(個性)を持った人でも受け入れられるという意味もあります。
だから「ヒッピーの集会」と定義してヒッピーに限定したらそれはレインボーじゃなくなっちゃうんです。
思えばインドでポーランドの森から来た妖精さんに出会った瞬間から私のレインボーギャザリング行きは決まっていたようです。
(写真は南インドのゴカルナで迎えたシヴァラトリというヒンドゥー教のお祭り)
約2ヶ月間インドからネパールを共に旅にしていて妖精さんに驚かされることばかりでした。
特にあの"なんでもシェア精神"!
「おまえの物はおれの物(ジャイアン?!)、おれの物はみんなの物!」
シェアするのが当たり前、ケアする(気にかける)のが当たり前。
日本的な距離感から初めはそれにたじろぐことが多かったけど、
慣れてくると彼の醸し出す"ファミリー感"がとても居心地よくて
その秘密を訪ねると「レインボーに行けばわかるよ!」と。
NO RAIN NO RAINBOW
時差ぼけもいい加減にしろよっていう帰国してから5日目。
ずーーーっと雨続き。
夏が終わってしまったのはともかく秋ってこんなに雨降るもんだっけ?
「秋晴れ」って言葉はどこからきたの?皮肉的発想?
しかーし!落ち込んでてもしょうがない!暇つぶしにブログでも書くか!
No rain, No rainbow!
雨なくして虹はナシ!(なんか響きカタイね)
そうそう、雨が降らなければ虹も出ないんです。
今日は「レインボーギャザリング」について〜☆
「レインボーギャザリングってなによ?」という方に簡単に一言で説明すると
「世界中のヒッピーたちの集会」ってところでしょうか。
詳しく知りたい方はぜひこの本をオススメします。英語だけど。
Somewhere Under the Rainbow (English Edition)
- 作者: Tom Thumb
- 出版社/メーカー: Road Junky Books
- 発売日: 2013/02/21
- メディア: Kindle版
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実は私はこの本を著者のトミーにレインボーでもらったのだ!
このことはまた今度詳しく書くとして。
新月から始まる1ヶ月間のレインボーギャザリング。
人里離れた大自然の中に集まったヒッピーたちは通称レインボーファミリー。
その数は規模にも寄るがメインの満月には数千にも登る。
1972年にアメリカで開催されてから今では世界中各地で開かれるように。
開催地は毎年異なり前年度のギャザリングで翌年の開催地候補が決まるそう。
今回私が参加した2015年の夏のヨーロピアンギャザリングはリトアニアでした。
ちなみに来年度はアルプスだそうな。
リトアニアと聞いてパッとどこにあるか思いつく方はそう多くないはず。
私もどこに位置しているのかはわからないけど中学の地理でバルト三国として
呪文のように「エストニアラトビアリトアニア」と覚えたというぐらいの記憶しかありません。
ドイツの右隣のポーランドのそのまた右上の小さな国です。
ちなみにリトアニアはリトアニア語で雨の地という意味なんだそう。
7月15日から参加したレインボーギャザリングですが最初の2週間はほぼずっと雨でした。
しかも森の中だけあって街よりも断然寒い!
たぶん一番寒かった夜は5℃くらいしかなかったんじゃないかな?
そして降り続く雨によって泥沼と化した獣道を往復する日々は
寒さと雨に滅法弱い私にとって地獄以外の何物でもありませんでした。
濡れてより一層寒さに拍車がかかるテント内でせめてもの救いの寝袋に潜り込むも
わずかな乾いたスペースに身を寄せて寝心地最悪の硬い地面に横たわりながら
「なんで私はこんな苦行を…」と自問して眠れるはずもなく迎えたレインボー3日目の朝。
意を決して一緒に来た彼に「ごめん、私もう耐えられないから帰ろうと思う」と申告すると
一瞬なにを言ってるのか意味がわからないという表情からガッカリした顔に変わり「I didn't think you're that pussy like...」と返される。
ここでのpussyは女々しいとか弱虫のこと。だいぶ失礼な言い方。
「そんな女々しいヤツだと思わなかった」なんて言われついムッとする。
「女々しいとかそんなんじゃなくて人も鳥みたいに千差万別で
ペンギンみたいに寒いとこで生息できる鳥もいれば
暖かいところじゃないと生きれないフラミンゴもいるんだよ!」
「君はフラミンゴじゃなくて人間でしょ?」
「…(ごもっとも。)」
「まだ3日目だよ。もうちょっと頑張っていればレインボーの素晴らしさがわかるはずだから!」
そういわれてそれもそうだと渋々居残ること5日。
やっとのことで束の間の晴れに虹が出ました。
これまで数々の虹は見てきたけれど虹の橋の端から端までの全体像にしかもダブル!
あいにくレインボーは基本写真禁止なのでカメラを持ってなかったので残念ながら撮れなかったけど(この写真はネットから拝借しました)
まさにこの写真みたいな立派な虹は生まれて初めて見ました。
それまでレインボーギャザリングに連れてきてくれた彼に心のどこかで
「こんな雨ばっかでクソ寒いとこに連れてきやがって…!」と恨めしく思ってたのか一気に散って
やっと素直にThank you for taking me to Rainbow :)って言えました。
あのときの妖精さんのドヤ顔といったら…笑
レインボー話、まだまだ続きます。
どうか引き続きお付き合いいただけますと嬉しいです♪
イスタンブール→ベルリン
旅の前日
旅の前日って何度経験しても慣れないものだ。
写真は4年前に行ったモロッコの青い街シェフシャウエン
たぶん何事も100%ただ楽しいだけって単純にもう思えないんだろうな。
楽しいことは始まってしまったら遅かれ早かれ終わってしまうことを知っているから。
でも逆に終わりがあることを知っているからこそ刹那の貴重さを噛み締めて精一杯楽しもうって思えるんだと思う。
そして結果的に精一杯楽しもうっていう意気込みで120%楽しめてたりするんだな!!!
こちらの写真もモロッコ、サハラ砂漠
このツアーに一緒に行ったキチガイイタリア人マリオっていうおっさん
たぶんおもしろい話のネタになるから今度書こう。笑
すごいよね〜これ。
上海アレルギー?
オレは東京生まれ上海育ち☆
変なヤツはだいたいトモダチ★
Hey, YO!!!
3年ぶりの上海からこんばんわ。
今年で91歳になる祖父母に会いに来て早速おじいちゃんが今日から入院してます。
なんだか切ないですね〜
しわくちゃのおばあちゃんに「私たちはもう年だから…」と言われると、なんて返したらよいのか困ってしまいます。
次また会えるか正直わからない、けど、だからといってずっとそばにはいられないから。
だからこそ一緒にいるときは一瞬一瞬を大事に!
ってお年寄り相手となると切実にそう感じるけど、誰だって次の瞬間の確証はできないもの。
今となりにいる人をそういう想いを持って接したら優しくできますね。
(母親の顔を思い浮かべて自分に言い聞かせてます。はい、自省。)
上海は我が先祖代々が生きてきた地で、私も6才までは上海で祖母に育てられました。
私が知っている20年前の上海というと、今では上海の象徴ともいえる東方明珠タワーがまだ建設中で、私はそのすぐ裏の浦東という地区に住んでいました。
まだ高層ビルも少なくて古い街並みが続いていて、夕方になるとみんな外に椅子を持ち出して夕涼みしながらご近所同士で世間話をしていた古き良き時代。
あの頃からもう建設ラッシュは始まっていたのかな?
当時から小児ぜんそくがひどかったけど小学校に上がるために日本に来てからはピタッと治りました。
でも今でも上海に帰ると毎回ぜんそくの発作が出て病院送りの刑です。
上海アレルギー???
故郷である上海がどうも手放しで好きとはいえない複雑な気持ちによるのかなぁ?
懐かしいと思う反面、いたるところで欠点が目についてしょうがないのは
やっぱり生まれ故郷だから上海を一都市として冷静になって客観的に見れないからでしょうか。
そのうち誇りを持って「私は上海人です!」って言える日が来るといいな〜
とはいっても上海は良い街です!(全然説得力ないけど)
旅行先として遊びに来るのはおもしろいかも。
次ぎにくるときまで祖父母もなんとか元気でいてくれますように。
6年後のシャンティババとの再会
この人がいなければ今の私はいない、ていうと大袈裟に聞こえるけど
これまで会ったどんな人にも多かれ少なかれ影響は受けているもの。
私の初インドは彼抜きでは全く異なるものになっていたでしょう。
本当にありがとう、ラファエル。
出会えてよかった。
6年前にリシケシで会ったスイス人ババのラファエル。
当時の彼は既にサドゥババに弟子入りして10年選手!
パッと見た感じ何人なのかよくわからない風貌は、ババで溢れかえっているリシケシでもひときわ目立っていて
リシケシでシャンティババといえばラファエルとわかるほどの有名人でした。
そんなラファエルは1年の半分はリシケシのグルジのもとでサドゥの修行をしていると言っていました。
ラファエルがいなければリシケシでサドゥに嫌な思い出しかできなかったところが
mushro0o0om-sara.hatenablog.com
ラファエルのおかげでやっぱり人って助け合えていいな♡と思えるようになった初インド。
まさに私のインドの恩人です!!!
そんなラファエルに一体なぜインドに来たのかと聞いたら「一度人生に絶望して何も見いだせなくなってしまった。そんな時にインドに来てグルジに出会って救われた。」と、
たしかそんなようなことを言っていました。
あまりフランス語圏スイスに住む彼は英語が得意ではなく、私との会話やりとりはヒンディー語混じりの片言英語。
だから時々意思の疎通がスムーズじゃないこともあって100%伝え合えないこともあったけど
人生のこと、宗教のこと、いろんなことをたくさん話し合いました。
私がリシケシを離れる早朝にはいつも焚いてるお香の束と小さなシヴァ神の像をくれて
「次のクンブメーラ(3年に1度のサドゥ大集合祭り)で会おうね!」と見送ってくれました。
あれからずっとfacebookでつながっていて事あるごとに「元気?」とか「最近どうしてる?」とか連絡を取り合って
元気がないときには励ましてもらったり近況報告を聞いたりして再会を楽しみにしていました。
そんな彼と6年越しの再会!しかもインドゴアで!!!
長かったドレッドの髪を切ってババスタイルではなく普通の格好をしていたから一瞬気付かなかったけど
あの優しい笑顔は相変わらずですぐにラファエルだとわかり飛び上がって喜びました。
ラファエルも初め私だとわからなくて驚いてました。
再会してすぐお決まりのボンボレナース。
「グルジは元気にしてる?」と聞くと「グルジは変わってしまった…」とラファエルの表情が曇った。
よくよく聞いてみたところ金銭も関わって不信感を少し抱いている、
周りのリシケシの人間もグルジのことを良く言わない、
でもそれでもグルジを信じたいから数日後にはゴアを出てリシケシのグルジを訪ねるという。
ラファエルがあんなに慕っていたグルジから裏切られるなんて信じがたくて
文化や言葉の違いからの勘違いであってほしいとひそかに願いました。
6年越しの再会を心から喜び、また近々チャイでも飲みに行こうと約束したのが去年の11月末。
それから少し日が経ってfacebookのタイムラインにこんな投稿がありました。
フランス語がわからないものでどうしたんだろう?と見てみると
一番最後にR.I.P.とあって、まさか…?と不吉な胸騒ぎがしました。
R.I.P.はRest In Peaceの略で「安らかに眠れ」の意。
人が亡くなったときに使います。
同じ宿でフランス語ができる人にこれ何て書いてある?と聞くと
ラファエルが亡くなったという旨のことが書いてあると。
つい数週間前まで一緒にボンボレナースしたのに。。。
寒気がして鳥肌が立ちました。
そして思い出したのがラファエルの暗い表情。
あのとき話していたことを思い出す。
グルジは何でも答えてくれる。
サドゥになりたいと弟子入りさせてくれて沢山学ばせてもらったし
絶望に打ち拉がれた時には人生の摂理を説いて答えに導いてくれた。
過去にあった問題がどんな意味を持っていたかを教えてくれたけど
未来のことについては知っていてもあまり教えてくれなかった。
一度ラファエルがどうしてもこの先の彼の人生で何が起こるか知りたいというと
覚悟をしてそれを受け入れることができるなら、と前置きをして教えてくれたそうです。
それはとても悪い内容だったから信じたくない。
けどこれまでグルジが口にした未来のことはすべて現実に起こったからすごく怖い。
本当に起こってしまうのか、避けられないのか、それをもう一度グルジに確認してくる。
そういって彼はゴアからリシケシに行きました。
英語が得意ではなかった彼から聞いた話で私が内容を正しく理解していたかはわからないけど...
グルジには見えていたのかな、ラファエルの死期が。
にわかには信じ難いような話。
もしかして金銭とか諸々で揉めてしまってグルジが呪いをかけたんじゃないかとも一瞬考ってしまいました。
サドゥにもいろいろ宗派があって中にはアゴリと呼ばれる黒魔術を使う人たちがいます。
一般的なババがサフラン色の布を纏うのに対してアゴリは黒装束で首から人骨を下げていたり頭蓋骨を持っていたり。
噂ですがヴァラナシのガンジス川の対岸が不浄とされて人々が寄り付かないのは日が暮れた後にアゴリババがそこで死んだ人の肉を食べるとか食べないとか。。。
だから一見エセサドゥの乞食にみえてもサドゥを邪険に扱わないのはサドゥが内に秘めている(かもしれない)パワーを恐れているから。
特にアゴリババなんかを敵に回してしまったら終わりです...
今回の話の着地点を見失ってしまいましたが(汗)
強引にまとめると↓
インドに行く際はくれぐれもサドゥにいろんな意味でお気をつけ下さいませ!!!
インドでサドゥに弟子入り修行〜結〜
弟子入りしかけたサドゥの正体が…
mushro0o0om-sara.hatenablog.com
ただの好色変態オヤジだった時のショックはなかなか大きい。
※最初に断っておきますが長くなりそうです。
どうか最後までお付き合いいただけたら幸いです。
私から経緯を聞いた隣人のスイス人ババ(推定40歳前後)ラファエルが
ニセモノ変態ババに制裁を加えてくれるとのことで一緒にリシケシの街へ。
少し離れたところからババを見つけて指差すと「あぁ、あいつか…」と苦々しい表情を浮かべたラファエル。
「なんかあったの?」と聞くと「あいつは前にも観光客に悪さをした」とのこと。
「ここでちょっと待ってて。」とラファエルはババに向かって歩いて行きました。
一体どんな制裁を加えるのかと固唾を呑んで見守っていると言葉少なに二言三言交わしてババをこっちに連れてくると
「こいつで間違いないんだな?」と私に確認して「一緒に来い!」とババに向かって命令しました。
恨めしげに私を睨むババ。
一瞬怯む私だったがラファエルが味方してくれるという余裕で睨み返す。
ラファエル、私、ババという順で雑木林を進んで行く。
どこに行くのだろうと案じていると「グルジ(師匠)にどうするか任せる」のだという。
以前から話に聞いていたラファエルのグルジに会えると知って内心ワクワクする私。
ラファエルが弟子入りして10年近くも仕えているグルジとは一体どんなサドゥなんだろうか?
片手を上げ続ける苦行を30年!みたいなテレビの世界の変人特集番組に出るようなのを妄想しているうちにグルジの庵に到着。
かわいいおじいちゃんでした♡
これがグルジなのかとちょっと拍子抜けするような
かわいいおじいちゃんがそこに座っていました。
ラファエルがグルジの前でかがみ込んで右手でグルジの足に触れて自分のおでこを触れる。
グルジはそれに応えてラファエルの頭に軽く手を乗せる。
これがインドの目上の人に対する最敬礼。
私もそれに習ってグルジに最敬礼して「ハリオーム グルジー」と言うと、グルジが「アッチャー!」と言って目を大きくしました。
きっと日本人の女の子にそうやって挨拶されたのは初めてなのでしょう。
「メー ジャパニ フン ムジェインディアバホットアチャラガ」
(私は日本人です。私はインドが大好きです)
それを聞いたグルジが「アッチャーアチャチャチャ〜」と言って愉快そうに笑いました。
「アッチャ」はヒンディー語で直訳すると「良い」の意。
ほぼいつでも使える万能の言葉です。
美味しいときも「アチャ」会話の相づちも「アチャ」です。
ちなみにサドゥは弟子入りすると師匠からサドゥとしての名前が与えられます。
ラファエルはグルジから「アチャプリ」と呼ばれていたので彼のサドゥネームは直訳すると「良いヤツ」ってところでしょうか…笑
グルジとラファエルと私が和やかな雰囲気でいる傍らでバツが悪そうにしていたババ。
ラファエルがグルジにヒンディー語で事の経緯を説明する。
さっきの無邪気な笑顔と打って変わって厳しい目つきでババを睨むグルジ。
(ここからは私が知ってるヒンディーの単語を拾った推測です。)
グルジ(以下:グ)「そこに座りなさい」
ババ(以下:バ)「お久しぶりです、グルジ…」
グ「お前また旅行客に悪さをしたな?」
バ「………」(またも私を恨めしげに睨みつける)
グ「この前は質の悪いチャラスを観光客に売り付けて」
バ「いや…あれは……」(うつむく)
グ「バカモン!チャラスは売り物ではない!!!訪ねてくる客がいればプラサードとして与えよ!」
プラサードとは神様からの施し物。
それはお供えされた後の食べ物であったりご利益ご加護であったり様々でババから授けられます。
一般的にプラサードは断ってはいけないので、ニセモノババから金平糖みたいな小さなスイーツを「プラサードだ」と握らされて"お布施"を要求されることも多々あります。。。
グ「お前は悪さばかりして本当にしょうがないヤツだ。サドゥの風上にも置けない。」
(グルジが何かを持ってくるようジェスチャーを送りラファエルがババに1mほどの長さの棒を持ってくる。)
手渡された棒を持ったグルジは七十を優に超えているとは思えないような身軽な動きでひょいっと立ち上がり
「このバカタレが!!!!!」と言ってババを棒で容赦なく叩きはじめました。
「ひぇ〜やめてください〜もうしません〜」とばかりに頭を抱えて逃げ回るババ。
それでもグルジは手を止めようとしません。
「リシケシから出て行け!修行し直しじゃー!!!」とグルジが追い打ちをかける一打を見舞ってババはリシケシ追放となりました。
一件落着!
あまりの展開にポカンとする私に最初にみた無邪気な笑顔で向き直って何事も無かったかのごとくグルジは言いました。
「そろそろチャイの時間だな◎」
いつもならラファエルが入れるチャイを今日は客人が来たからと
グルジ自ら石で生姜を潰して茶っ葉を煮立たせて入れてくれました。
そしてお決まりのボンボレナース。
あれから毎日ラファエルとグルジの庵を訪ねました。
言葉は通じなくても心は通じ合えます。
私の片言のヒンディー語とババの片言の英語でたくさん話しました。
グ「ナマステ イン ジャパニ?」
私「こんにちは!」
グ「コニチワ〜コニチワ〜」
嬉しそうに何度も繰り返すグルジ。
そこから私がいるときにいつもチロムを回すときは
「ボンボレナース コニチワ〜」と言うようになりました。笑
グルジの庵にはいろんな人が訪ねてきます。
ヒンディー語なのでわかりませんがおそらく地元の人にとってグルジの庵は憩いの場でもあるのでしょう。
これはコブラ使いが訪ねて来たときの1枚。
コブラ使いの縦笛を吹いて遊ぶグルジとそれを嬉しそうに見てるコブラを首に巻いたラファエル。
なんとなくですがグルジにはダライラマの無邪気さに通ずるものが垣間見えました。
悟りを得た聖者サドゥに人生相談をして導きの言葉をいただく。
そのお礼にもらうお布施でサドゥが生活をする。
日本では到底ありえないようなこともあり得てしまうインド。
その多様さをも包容してしまうインドの懐の広さ。
ラファエルや私のような人生に迷子になってしまった旅人がたどり着くインドでは
"ホンモノ"のサドゥは導いてくれる有り難い存在でもあります。
今でも根強く残るカースト制度に縛られて決して楽ではない暮らしをしている人々にとっても
カーストに属さないサドゥという存在はある意味セーフティーネットみたいな存在でもあるんじゃないかなぁ。
ホンモノのババはお金なんて要求しません。
グルジはいつも笑顔とチャイと梵で出迎えてくれます。
そこに私はいつも野菜や果物、牛乳、お香などを手土産に遊びに行きます。
ゆったりとした時間の流れでチャイを飲んでボンボレナースすると
暑い暑いインドでグルジの庵に吹き抜ける風がこんなにも心地よくて
「生きる」ことを重く難しく考えすぎていたことに気が付きました。
そこで我に返ってグルジを見ると、うんうん、と
なにもかも見透したような柔和な笑顔でうなずいていました。
連れて来てくれたラファエルに「ダンニャワード(ありがとう)」と言うと
彼もまたグルジとよく似た笑顔で「アッチャ」と言ってインド独特の肯定の意味で首を左右に傾けてニコニコしていました。
そういうことなんですね、グルジー。
これが私が6年前に初めてインドでサドゥに弟子入りしたお話。
かなり長くなってしまいましたが最後まで読んでくれてありがとうございました。
結局書ききれなかったラファエルとのゴアでの再会と衝撃の出来事(これは書かずにはいられない!)は、また次回に。
ナマスカール(^人^)